和光堂ベビーフードの日。赤ちゃんの健やかな成長を応援する和光堂の歴史
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9月10日は和光堂ベビーフードの日※。赤ちゃんの健やかな成長を願う記念日です。1937年9月に和光堂(現アサヒグループ食品)が日本製で最初のベビーフードを発売したことから、赤ちゃんが生後100日目に一生食べることに困らないことを祈って行われる「お食い初め」の行事と和光堂を組み合わせた「おく(=9)い(=1)ぞめ・わ(=0)こうどう」とする語呂合わせで、9月10日を記念日に制定しました。今回は、進化するベビーフードと和光堂の歴史について紹介します。
INDEX
栄養不良で亡くなる赤ちゃんを救いたい!国産初の育児用粉ミルクを発売
和光堂の歴史は、1906年(明治39年)、日本における小児医学の創始者である弘田長(つかさ)博士が開いた和光堂薬局に始まります。当時あまりにも高い乳幼児の死亡率に心を痛めた弘田博士が、小児の治療だけでなく、育児に必要な育児製品を先進国ドイツから輸入し、指導販売を行うという目的のために開業しました。
最初の開発商品がベビーパウダーの代名詞にもなった「シッカロール」です。
さらに弘田博士の志を受け継いだ大賀彊二(おおがきょうじ)が、1917年(大正6年)に国産初の育児用粉ミルク「キノミール」を開発。乳児の栄養を母乳だけに頼っていた時代に、母乳不足で栄養不良に陥る多くの赤ちゃんを救いました。
誕生から80年以上!赤ちゃんにとって安全安心な「食」を届け続けるベビーフード
子育て中の皆さんの強い味方であるベビーフードは、共働き世帯が多い中、手早く準備できることから積極的に活用する方が増えています。そんなベビーフードは、どのような背景から誕生したのでしょうか。
和光堂が日本で最初のベビーフードをつくった1937年当時の乳幼児死亡率は、出生数1000人に対して106.8人と非常に高いものでした。和光堂創立当初の乳幼児死亡率が出生率1000人に対し150~160人だったことと比較すれば減少してはいましたが、欧米諸国と比べるとまだまだ高い水準でした。
死亡の原因は、肺炎などの病気のほか、栄養不良、消化不良、細菌性の消化器疾患など。それだけに、子どもたちに栄養価が高く、しかも衛生的な食べ物を与えることが、緊急の課題だったのです。この課題を解決するために誕生したのが、国産初のベビーフード「グリスメール」でした。「グリスメール」は粉砕し加熱殺菌した白米を缶に充填したもの。使用時に水に浸してから煮て、ようやくおかゆができあがります。少し手間がかかるように感じるかもしれませんが、当時としては画期的なものでした。
その後、和光堂は1952年にお湯を加えるだけで簡単につくれるフレークタイプを発売。1959年には缶詰タイプ、1971年には瓶詰タイプが登場。1984年には世界初のフリーズドライのベビーフードも発売しました。ベビーフードのパイオニアとして日本の離乳食文化に貢献してきました。
不足しがちな栄養素※1をカバーできるバータイプのおやつが新登場
さまざまな乳幼児向け食品を展開してきた「和光堂」ブランドから、お子さんの栄養摂取に関して不安がある方に向けて、ソフトな食感のバータイプのおやつを9月2日に発売しました。対象月齢は1歳半頃からです。
15種※2の栄養素を配合し、1本で1日に不足しがちな栄養素※1がカバーできます。「ミルク味」と「ミルクココア味」の2種類で、ミルクの風味をベースとしたやさしい甘みが特長です。お子さんが持ちやすく食べやすいバー形状で、個包装なのもうれしいポイントです。
※1 鉄、カルシウム、V.B1、パントテン酸について、「国民健康・栄養調査(平成28年)」1~2歳の平均摂取状況と、「日本人の食事摂取基準(2020年版)」1~2歳の推奨量・目安量の差分量を1本に配合
※2 V.A、V.B1、V.B2、V.B6、V.B12、V.C、V.D、V.E、ナイアシン、パントテン酸、葉酸、亜鉛、カルシウム、鉄、マグネシウム
時代の変化やニーズにあわせて常に進化し続けるベビーフードを含む乳幼児向け食品。「和光堂」ブランドは、今後も“ずっと、赤ちゃん品質。”をモットーに、お子さんの成長段階に合わせた味付け、具材の大きさ、固さ、量、素材のおいしさにこだわった安全・安心な商品をお届けします。