ラーメンも仕事も、人生の舞台。アサヒロジ部長が寸胴で見つけたもの
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アサヒグループには、会社の枠を越えて自分の世界を広げながら働く社員がいます。
今回ご紹介するのは、アサヒロジ株式会社で経営企画部長を務める神田武郎です。
2014年に開催された日本ラーメン協会主催の、未来のラーメン店主を輩出する「ラーメン新人王グランプリ」で、アマチュアながら優勝を果たしたという驚きの経歴の持ち主です。ラーメン歴は20年以上。平日は会社員として組織を支え、週末は自宅の台所で寸胴(ずんどう)を出し、ガラからスープを炊き、小麦粉から麺を打つ。
一見、まったく異なる二つの世界を行き来しているようですが、神田はその毎日をこんな風に表現します。
「ラーメンも仕事も、人生の中にある“舞台”のひとつなんです」
アサヒロジ 経営企画部長 神田 武郎(かんだ たけろう)
1998年に入社。フォークリフト職として現場からキャリアをスタートし、その後、配車、本社業務、支店長、輸送部、支社業務部長を経て現職。(2026年2月時点)
プライベートでは自作ラーメン歴25年。会員数1万人以上の「自作ラーメン研究会」を主宰し、1日店長やラーメン教室の開催、テレビや雑誌、YouTubeなど各種メディアにも出演している。
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INDEX
「このくらいなら作れる」から始まった、20年以上の探究
神田がラーメンを本格的に作り始めたのは2000年頃。友人と有名店でラーメンを食べた帰り、何気なく「このくらいだったら、自分でも作れるんじゃない?」と口にしたのがきっかけでした。
ところが、いざ作ってみると、出来上がったのはどこにでもある「普通の味」。
「正直、悔しかったですね。最初はありがちで、形から入りました。寸胴がないからだ、道具が足りないからだって。食材もスーパーではなく市場で仕入れたら違うのではないかと。でもいくら道具や材料に凝っても自分が作るラーメンはおいしくならない。こうして、結局は自分の腕前なんだと気づかされました。他責にできる範囲には、限界があるんですよね」
当時はインターネット上での情報も少なく、数少ないラーメンのレシピ本を読み込み、名店の厨房をこっそり観察しては、自宅のキッチンで試行錯誤を繰り返す日々。初めて手打ちした麺は、沸騰したお湯に入れると溶けてしまうような状態だったといいます。
「石の上にも3年と言いますが、本当ですね。自分の味だと納得できるラーメンが作れるようになってきたのは、始めてから3年ほど経ってからでした。何かを始めて、それなりのレベルになるには時間がかかります」
プロを破って優勝。それでもラーメンは「自分だけの世界」でいたい
「趣味の域を超えた」と感じたのは、ラーメン作りを始めて10年以上が経った頃。2014年、東京ラーメンショー内で開催された日本ラーメン協会主催の「第3回ラーメン新人王グランプリ」への挑戦でした。
実は、その前年にも同じ大会に出場していましたが、結果は予選敗退。
「『これなら他の人でも作れる』と言われました。プロがひしめくピリピリとした会場で、M-1に素人が出ているような感じ。正直おっかなかったです」
1か月ほど落ち込んだそうですが、負けず嫌いの性格もあり翌年も挑戦すると決めました。
それからは、過去の優勝作品を徹底的に分析する日々。そこで見えてきた共通点は「魚」でした。神田が選んだのは、扱いやすい白身魚ではなく、臭みのある「マグロ」。自ら築地市場へ足を運んで素材を選び抜き、仕事の傍ら、自宅のキッチンで試作を繰り返しました。ようやく「これならいける」という一杯にたどり着くまでに作ったラーメンは、実に30種類以上。
それでも、トーナメントが始まると周りはプロばかりで、最初は「どうせアマチュアだから優勝は無理」という気持ちがあったそう。準決勝をトップ通過して、「もしかすると優勝できるかもしれない」と初めて思えたと、当時を振り返ります。
結果は見事、優勝!
しかし神田は、賞金50万円を辞退します。
「アマチュアでやる以上、お金を追いかけると考えが濁ってしまう気がして。誰にも口出しされず、納期も品質もゴールもすべて自分で決められる。だからこそ、純粋にラーメン作りを楽しめるんです」
「死ぬ気で頑張れ」は通用しなかった
一方で、仕事の世界ではまた違った壁にぶつかっていました。
神田は1998年、アサヒロジに入社。配車担当としてキャリアをスタートし、現場と本社を経験してきました。
転機は名古屋に異動になり、支店長としてマネジメントを任されるようになった頃のこと。当時の神田のモットーは「死ぬ気で頑張る」でした。
「でもそのやり方を部下に求めると、みんなを不幸にしてしまうと気づいたんです」
自分はマネージャーに向いていないのでは。人の力を引き出せていないのではないか。そう感じて、大学でマネジメントを学ぶことを選びました。
「座学と実践にはギャップがあります。でも、学びを会社やラーメンに置き換えて考えると、すっと腑に落ちることもありました」
現在は経営企画部長として、会社全体を見渡す立場にあります。神田にとってコーポレート部門での仕事は新たな挑戦です。
「休みの日まで、ずっと頭の中で仕事のことを考え続けていると、精神的に疲れてしまいます。だからこそ、休日は無心になれるラーメンを作りの時間が、私には必要なんです」
アサヒロジには、親子や兄弟、夫婦など、“家族”で働いている社員が多くいます。
「自分の大切な人に勧められる会社かどうか。それが私にとっての良い会社の基準です。そんな会社を、次の世代に残していきたい」
人生を楽しむために、いくつもの舞台を持つ
神田の娘たちにとって、父が自宅のキッチンでラーメンを作るのは日常の風景です。時には「今日の麺、自分で打ってないでしょ」と厳しい指摘を受けることもあると、笑顔で語ってくれました。
「最初は娘のためにラーメンを作っていると思っていました。でも娘たちが成長してきて、一緒に住んで作ってあげられる時間は限られている。だから実は、娘のためではなく、一回一回のラーメン作りを、自分自身が一番大事にしたいんだと気づいたんです」と満面の笑みで話します。
「舞台は違っても、やっていることは同じ。人に喜んでもらうことが、自分の楽しさにつながっているんだと思います」
実は若い頃、芸人を目指して舞台に立っていた経験もある神田。千葉県の高校を卒業後、大阪の吉本興業のNSCへ。同期には小藪千豊さんがいたそうです。学生時代はお笑いが好きで文化祭でコントをしたり、校内放送でパーソナリティーをしたり。
「ラーメンも自分を表現する舞台のひとつ。仕事という舞台、家族という舞台。その中に、自分だけの“個人の舞台”がある。舞台は違っても、人に喜んでもらいたいという根っこは同じなんです」
神田のラーメンという舞台。そこでの目標は、「自作ラーメンを日本の文化にすること」。
家族や大切な人のために、家でラーメンを作る。そんな光景があちこちの家庭で見られる未来を描いています。
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text「ハレの日、アサヒ」編集部


ひとつの肩書きにとらわれず、自分の可能性を広げていく。そうした一人ひとりの多様な在り方を大切にしているのも、アサヒグループの魅力の一つです。