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世界一のバーテンダーが、ニッカウヰスキーでつくる新たな価値

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世界一のバーテンダーが、ニッカウヰスキーでつくる新たな価値

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アサヒグループには、会社の枠を越えて自分の世界を広げながら働く社員がいます。
今回ご紹介するのは、ニッカウヰスキー マーケティング部の中村純。
中村はフレアバーテンダーとして20年、国内外問わずさまざまな場所でショーを行ってきました。フレアバーテンダーは、ボトルやシェーカーを投げたり回すなど、パフォーマンスをしながらカクテルを提供するエンターテイナー。
そんな彼が2025年、なぜニッカウヰスキーに身を置くという、新しい挑戦を選んだのか。これまでの経験とこれからの展望について聞きました。

プロフィール

ニッカウヰスキー マーケティング部 中村純

バーテンダー歴22年。横浜でバーのマネージャーや専門学校の講師などを経て独立し、
オーストラリアと日本を拠点に活動。フレアバーテンダーとして国内大会で数多く優勝するほか、海外大会での優勝賞金を熊本地震の復興支援に全額寄付し、その功績が評価され首相官邸に招かれる。国内外で2,000件以上の結婚式やイベントに出演し、テレビ・CM・映画などの技術指導も手がける。2025年にニッカウヰスキーに入社。

 ひとつの挫折が人生を大きく変え、鍛錬への火をつけた

中村がフレアバーテンダーとしての一歩を歩み始めたのは20歳のとき。
地元・熊本から上京し、東京の会社で3年ほど働く中で、「海外に行きたい」という思いが強くなっていったといいます。
同時に英語やバーテンダーのスキルも身につけたいと考えた彼は、バーテンダーの道を本格的に志すようになります。
最初に選んだ舞台は、外国人の多く集まる横須賀のバーでした。「米軍基地がある街なので、英語にも触れられるし、バーテンダーとしての技術も学べるなと。仕事をしながら経験も積めて、お金ももらえる環境でした」その後、「もっとお酒の世界を深く知りたい」という探求心から、20歳頃に横浜のオーセンティックバーへと移ります。

そこは以前働いていたカジュアルなバーとは異なり、蝶ネクタイスタイルの王道のバー。そこで出会ったのが、日本のフレアバーテンダーの第一人者となる人物です。
しかし、当時の感情を中村はこう振り返ります。「パフォーマンスをするより、まずはちゃんと美味しい一杯を作るべきだろうっていう考えだったので、最初は全くフレア(パフォーマンス)が好きではなかったんです」。

バーテンダーを始めた当初の中村

そんな彼の人生を大きく変えることになったのが、働き始めてから1年半経ったころに参加したフレアバーテンダーの全国大会。
フレアバーテンダーの大会は、ボトルやシェーカーを使ったパフォーマンス(フレア)だけでなく、制限時間内にカクテルを仕上げる技術や味を競います。大会ごとにテーマやルールが設けられており、その条件の中で、いかに自分の個性を表現できるかが問われます。

有名店で働いていたこともあり、「全国でもトップ3くらいには入れるかもしれない」と、どこかで手応えも感じつつも、突きつけられた結果は70人中68位。ほぼ最下位という現実でした。この強烈な悔しさが、中村の心に火をつけます。

世界を目指した挑戦。フレアバーテンダーとして駆け抜けた日々

フレアバーテンダーとして向き合った現実

初めての大会でどん底の悔しさを味わった中村は、その日からフレアバーテンダーとして、まるでアスリートのようなストイックな生活を始めます。
「ひとつの技ができるようになるまで、短くても1年、長いものだと10年くらいかかることもあります。自分の中でも、“これは5年から10年かかるな”と目安を立てながら地道に取り組んでいました。朝4時から8時まで練習して、少し仮眠を取ってから仕事へ。働き終わったあとも、さらに4時間は練習していました」

1日8時間の仕事に加え、同じだけの時間を練習に費やす日々。
「仕事をしながら練習もして、大会に出るために海外にも行かなければいけない。技術も人脈も、自分で広げていく必要があって、本当に大変でした。必ずしも十分なお金がもらえる環境でもなかったですし、正直、続けるのは簡単ではなかったですね」
それは、中村のキャリアの中でも最も辛い時期でしたが、それでも立ち止まらずに20年以上もやり続けられたのには、理由がありました。

20年以上続けてこられたフレアバーテンダーの魅力

アスリートさながらの生活を送りながらも、中村が20年以上フレアバーテンダーを続けてこられた理由について、こう振り返ります。
「目の前のお客さまが喜んでくれる。それが一番大きかったですね。“この表現で人を喜ばせることは他ではなかなかできない” という強い思いがありました。自分の体ひとつで、世界中どこへ行っても仕事ができる。カクテルを通じて人を喜ばせられるのが、この仕事の魅力です」。

活躍の場はバーにとどまらず、海外の大型イベントやホテルのオープニング、結婚式など、さまざまな舞台へと広がっていきました。

世界大会決勝にて ギリシャのシップレックビーチにある難破船の上

「言葉を使わなくても、パフォーマンスひとつで人の心を動かせる。それが、この仕事の面白さだと思っています」
“人を喜ばせたい”という思いとともに、中村を突き動かしていたのが、「世界大会で1位になりたい」という目標でした。

自分のためから誰かのためへ。世界一を機に訪れた心の変化

「当時は、とにかく“世界一になりたい”という気持ちでした」
その思いは、やがて現実のものとなります。海外の大会で優勝を果たし、ついに世界の頂点に立ったのです。

大会で優勝した際の記事

しかし、その喜びの裏で、中村の心には複雑な思いがありました。地元・熊本で、ちょうど熊本地震が発生していたのです。
「実家も被災して、家族ともなかなか連絡が取れない状況でした。その中で、自分だけがいい思いをしていいのかという葛藤がありました」
悩んだ末に、中村はその世界大会の賞金をすべて被災地へ寄付することを選びます。この経験は、彼の人生において大きな転機となりました。
「自分のためだけじゃなくて、人に何かを与えること。その積み重ねが、結果的に自分にも返ってくるんだと感じたんです」
その後、功績が評価され首相官邸に招かれるなど、活動の場もさらに広がり、新たな機会にもつながっていきました。

2024年には期間限定でオープンしていたニッカウヰスキーのオフィシャルバー「THE NIKKA WHISKY TOKYO(ザ ニッカウヰスキー トウキョウ)」にてヘッドバーテンダーを務めることに。
オープニングイベントでのカクテル提供など、秒単位で進行する緊張感のある現場の中で、絶妙なタイミングを合わせながら提供を行いました。数か月後、そのプロフェッショナルな様子を見ていた関係者から、映画の現場でのバーテンディングの指導が舞い込みます。異業種のプロから自身の仕事を評価された経験は大きく、「仕事そのものを認めてもらえたことがとても印象に残っている」と振り返ります。

こうして多くの人に実力を認められるようになった中村は、ある大きな決断をします。

THE NIKKA WHISKY TOKYOにて

20年の経験を携え、ニッカウヰスキーという舞台へ

世界を舞台に培った力を、組織という大きなフィールドで試したい

フレアバーテンダーとして世界で活躍する一方で、中村は次第に「大企業ならではのスケールの大きな案件や、大きなものを動かす仕事」にも魅力を感じるようになっていました。自身の力をより広いフィールドで試したいという思いから、かねてより関わりのあったニッカウヰスキーへの入社を2025年に決意しました。

ニッカウヰスキーに入って感じた魅力のひとつは、ブランドとしての長い歴史。伝統を大切にしながら、新しい価値を生み出していける環境であること、そして個人では成し得ない大きな仕事を、チームや周りの環境の力を借りて関わっていける点に、大きなやりがいを感じると話します。

しかし、これまで企業で働いた経験がなかった中村にとっては、名刺交換やメール作成、各部署への連絡など、すべてが初めてのことで、挑戦の連続。
そんな時に支えになったのは、いつも明るく接し、手を差し伸べてくれる会社の仲間たちだったといいます。同時に、ニッカウヰスキーの魅力に触れる中で、働く楽しさや新しいことを知る面白さを実感し、
「自分の長所を生かして、このブランドの魅力をもっと広めたい」という思いが強くなっていきました。

現場で培った力を活かし世界へ

現在、バーテンダーとして培った経験は、現場視点を活かした提案力という形で発揮されているといいます。これまでバーや飲食店で得た知識をもとに、ホテルやバーに対して、メニュー開発やオペレーション改善などの提案を行うなど、外食領域でのコンサルティングに携わるだけでなく、海外のバーアワードやイベントへの関与も大きな役割のひとつ。
各地域で開催されるアワードや展示・出展を通じて、現地のバーテンダーと連携しながら、カクテルを通じてニッカウヰスキーの魅力をグローバルに発信し、ブランド価値の向上に貢献しています。

表現する側からつくる側へ。一本のウイスキーにつながる多くの情熱

お酒を使って価値を“表現する側”から、“つくる側”へと立場が変わったことで、仕事に対する見え方にも変化が生まれます。
一本のウイスキーがお客様の手に届くまでに、ウイスキーをつくる人、品質を管理する人、売る人、企画をする人など、本当に多くの人の仕事がバトンのようにつながり、初めて一つの価値が生まれていることを肌で実感したといいます。
「本当にいいものを、いい形でお客様に届けるという本質は、これまでのバーテンダーとしての経験と何も変わりません。バーテンダー時代も同じように、お客様の目の前で価値を届けていましたが、ニッカに入ってからは、生産者の方々と直接関わる機会が増え、ものづくりの背景まで含めて理解できるようになりました。そうしたチームとしての動きがより近くに見えることで、ブランドの魅力をよりしっかりと届けていきたいという思いが強くなりました」。

世界を目指して。広がる可能性と新たな挑戦

今後はより一層、海外にもニッカウヰスキーの魅力を伝えていきたいと話します。
これまで映画の現場で日本の俳優にバーテンディングのレクチャーを行うなど、表現の場にも深く関わってきた経験から、今後はハリウッドのような世界の舞台にも挑戦していきたいという夢を持っています。
「ニッカウヰスキーは、日本が世界に誇れるブランド。その価値や背景を理解した上で、自らの技術と表現力で世界へ伝えていくことに、大きな可能性を感じています」。

また直近の大きな挑戦として、2026年7月には、フラッグシップバー「THE NIKKA WHISKY TOKYO(ザ ニッカウヰスキー トウキョウ)」のグランドオープンを控えています。
常設店の立ち上げにあたり中村は、蒸溜所に何度も足を運び、現場の熱い思いに触れてきました。だからこそ、「その大切な思いをしっかりと目の前のお客様に届け、ここを多くの方に愛される場所として育てていきたいと考えています。常設カウンターにも立ちながら、ニッカウヰスキーの魅力を一人でも多くの方に伝えていきたい」と話します。
THE NIKKA WHISKY TOKYOの詳しい情報はこちら

グラスを操るエンターテイナーから、歴史あるブランドの伝道師へ。
アサヒグループには、多様な経験や挑戦を積み重ねてきた社員がいます。
カタチを変えながらもお酒の魅力を信じ、走り続ける中村の情熱は、今日もニッカウヰスキーの新たな価値をつくり出しています。

text「ハレの日、アサヒ」編集部

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