【北欧は、食べて、旅する】第1回 忘れられない、コーヒータイム
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北欧を旅して、ガイドブックやエッセイなどを執筆している森百合子と申します。これから、北欧の食と暮らしにまつわるエッセイを6回にわたり書いていきます。
ちなみに北欧とはどの国を指すか、ご存知でしょうか。一般的にはデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、フィンランドの5カ国が北欧として分類されています。わたしは2005年に初めて訪れて以来、この5カ国を繰り返し旅してきました。こちらの連載でも、5カ国あちこちの町と人、味が登場する予定です。北欧は、食べて、旅する。ぜひ一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。
プロフィール
森 百合子(もり ゆりこ)
北欧ジャーナリスト、エッセイスト。主な著書に『探しものは北欧で』(大和書房)、『日本で楽しむ わたしの北欧365日』(パイ インターナショナル)など。NHK『世界はほしいモノにあふれてる』『趣味どきっ!』などメディア出演も。北欧食器とテキスタイルの店『Sticka スティッカ』も運営している。
INDEX
コーヒーブレイクにかかせないものは?
連載第1回となる今回は、北欧のコーヒータイムをのぞいてみましょう。
最近、日本でもときどき耳にするようになった「フィーカ」という言葉。これはスウェーデン語で、コーヒーブレイクを意味する言葉です。コーヒーを飲みながら、クッキーや菓子パンなど甘いものをつまんでリラックスする時間のことで、スウェーデンの人たちはフィーカが大好き。スウェーデン語でコーヒーを意味する「kaffi」という言葉をひっくり返して生まれた言葉とも言われています。
家族や友人たちと楽しむのはもちろんのこと、職場にもフィーカの時間があります。スウェーデンの首都ストックホルムで、とあるデザインオフィスを訪ねたときのこと。午後3時頃だったでしょうか、もともと教会だったというオフィスで突然、鐘が鳴りひびき、すると奥の部屋からぞろぞろと社員さんたちが出てきて、コーヒーメーカーや軽食の置いてあるキッチンスペースへと向かっていったのです。忙しくてもひとまず手を休めて、同僚たちと会話を楽しんでリフレッシュする。そんなフィーカの時間を目撃した体験となりました。
フィーカにかかせないのが、甘いおやつパンです。北欧を代表する菓子パンといえば、シナモンロールを思い浮かべる方も多いかもしれませんね。フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に大ヒットした映画『かもめ食堂』では、フィンランドっ子が大好きなおやつ、シナモンロールが登場します。映画に出てくるフィンランドのシナモンロールは、ぐるぐる巻きにした生地の真ん中をつぶしたような形が特徴的。コルヴァプースティ(パンチされた耳という意味)という名前でも知られ、成型するときに本当に指でぎゅっとつぶすんです。ちなみにフィンランドにもコーヒーブレイクを指す言葉があって、カハヴィタウコ(カハヴィはコーヒー、タウコは時間)と呼ばれます。
北欧で食べるシナモンロールの特徴は、生地のなかにカルダモンというスパイスを混ぜこむこと。カルダモンは、カレーやホットワインに使われることの多いスパイスですが、北欧でシナモンロールを手に取ってみると、粗挽きにした黒い粒々のカルダモンが生地に入っていることがわかります。北欧のカフェでは、シナモンロールのほかに、このカルダモンをたっぷりと効かせたカルダモンロールも人気で、爽やかな独特の香りがコーヒーによくあいます。旅先でカフェやベーカリーに入ると、カルダモンの香りがふわっと漂ってきて「ああ、北欧に来たなあ」と感じるんですよね。
バイキングの町で、コーヒータイム
さて、あちこちの町で菓子パンとコーヒーを楽しんできましたが、今年訪れたノルウェーのカフェでも、思い出に残るコーヒータイムを過ごしました。訪れたのはノルウェー第3の都市、トロンハイムです。ノルウェー中西部に位置する町で、雄大なフィヨルドも堪能できる場所。中世のバイキング時代には首都として栄えた歴史ある都市で、バイキング王のオーラヴ1世が埋葬されたニーダロス大聖堂は、町いちばんの観光名所。フィヨルドやバイキング時代のロマンを感じようと、世界各地から観光客が訪れる町なのです。
現在のトロンハイムは美術館やギャラリーが多く、アートの町としても知られています。わたしも、とある美術展を取材するためにカメラマンの夫と訪れたのですが、古い建物が多く残された町並みをただ歩くだけでも眼福でした。町を囲むように流れる川沿いにはカラフルな壁色の家々が並び、写真を撮る手が止まりません。
初めて訪れる町について、チェックせずにいられないのが地元のカフェやベーカリー情報です。宿泊先の近くや、美術館や公園などお目当ての場所のそばなど、旅の途中で息抜きできる場所を見つけておくと、町がぐっと身近に感じられる気がするのです。調べてみるとトロンハイムには、ノルウェー代表に選ばれたバリスタが働くカフェがあることが判明。町の中心にある図書館のなかにも、いいベーカリーカフェがあると知り、俄然コーヒータイムも楽しみになりました。
取材の合間には、各国から集まったジャーナリストや美術関係者のみなさんとおしゃべりも楽しんだのですが、隙をみては地元の方たちに「おすすめのカフェやベーカリーはある?」と聞き込みをしていたわたし。最終日のランチタイムのこと。いつもは会話の聞き役だった無口なカメラマンさんが、ぽつりと言いました。「ぼくのおすすめは『オンケル・スヴァンヒルド』。町でいちばんの、ボッレが食べられるよ」。ボッレとはノルウェーの菓子パンを指す言葉です。
ボッレとスヴェレ
翌日、町でいちばんのボッレを目指して出かけたところ、時刻は土曜の午後3時過ぎとちょうどコーヒータイムだったこともあって店内はとてもにぎわっていました。ベビーカーをかたわらにコーヒーを楽しんでいるお客さんもたくさんいて、地元の人々が多そうな雰囲気でした。
ガラス板で仕切られたカウンターの向こうには、おいしそうなボッレが並んでいました。ブルーベリーやルバーブなど北欧で親しまれるフルーツをのせたボッレもあって目移りします。……ただ、一向に席が空く気配がないのです。テイクアウトも考えたのですが、ホテルで食べるよりもせっかくならば店内でコーヒーと一緒に味わいたい。そこで一旦、出直すことにしました。近くには、リサイクルショップやビンテージ家具の店もあったので、小一時間ほど時間をつぶしてから戻ることに。
店に戻ると、店内は先程とはうってかわって人がまばらになっていました。カウンターへ行くと、目をつけていたブルーベリーのボッレもまだ残っていたので、すかさず注文。夫は、カスタードクリーム入りのボッレを選びました。ノルウェーではシナモンロールの真ん中に丸くカスタードクリームをトッピングした「ソルスキンボッレ(日光のパン)」と呼ばれるパンや、カスタードクリームにココナッツフレークをまぶした「学校パン」と呼ばれる伝統的なボッレがあって、クリーム入りのボッレを見つけると食べたくなってしまいます。
コーヒーを片手にボッレにかぶりつくと、北欧の菓子パンらしく生地がみちっとつまっていて、でもしっとりとした食感が、とてもおいしい。ブルーベリーやクリームの甘さは控えめで、ぱくぱくといくらでも食べられそうな味わいです。これはたまらんと至福のコーヒータイムを堪能していたところ、夫が言いました。「あっ……スヴェレがある!」
スヴェレとは、ノルウェー西部に伝わる名物パンケーキ。地元の人に言わせると「フィヨルドへ向かう船の上で食べるのがお約束」のローカルなおやつなのですが、わたしはずいぶん前に首都オスロで開催されていたファーマーズマーケットで偶然、食べたことがありました。独特の食感が忘れられず、いつかまた食べたいと思っていたのですが、西部ならではの味だからか、なかなか巡り会えなかった味。壁にかけられたメニューの黒板を見ると、確かにスヴェレの文字があります。
ああ、この店のスヴェレならぜったいにおいしかったよね。でもそろそろ閉店だし、どうしようね……と話していたのが耳に入ったのか、ちらちらとカウンターへ熱視線を送っていたのがバレたのか、少しするとカウンターの向こうから店員さんが「これ、よかったら食べてみて」とやってきて、その手にはなんとスヴェレが!
こちらがスヴェレ。パンケーキのように丸く焼いた生地を半分にして、ノルウェー名物のブラウンチーズとバターをはさんでいます。「ノルウェーでも、地域が限られる味でね。この辺りでは名物なんだよ」と教えてくれたのはアレクサンデルさん。ああ、夢に見たスヴェレ。口に運ぶと、ボッレよりもさらになめらかなしっとりとした生地で、ブラウンチーズとバターがよくあいます。
ちなみにブラウンチーズとは、チーズを作るときに出る乳清を煮詰めて作った茶色いチーズで、キャラメルのような甘い味がします。わたしの友人は「ピーナツバターみたいな味」と評していましたが、ノルウェー人はこのブラウンチーズが大好き。ブロック状のチーズをスライサーで1枚ずつ薄くスライスして、パンやワッフルにのせていただくのです。こうしてパンケーキに挟んで食べるのは初めてでしたが、生地のふんわり具合と、チーズのねっとりとした食感、濃密な甘さの組み合わせが、何かよく知っている味と似ています……あ、どら焼きだ!
大きい菓子パンをたいらげて、さらにスヴェレを頬張っていたところ、アレクサンデルさんが今度は紙の箱を2~3個、積み上げて持ってきました。「今日はもうすぐ閉店だから、よかったら持って帰って」。箱を開けてみると、さきほど迷ったルバーブのボッレも入っていました。どうしよう、こんなに食べられるだろうか……と一瞬ひるみつつも、「ありがとうございます、いただきます」と受け取ってしまったのは、ボッレもスヴェレもとてもおいしくて、居心地よく過ごせたから。日本から来ていることを伝えると「いつか、行ってみたいんだよ! 日本のパンや、おいしいものをいろいろ食べてみたいんだ」と話していたので、ぜひとも、どら焼きを試してほしいものです。
おいしくて満腹になったコーヒータイムの思い出に、写真を撮ってもいいですか? と尋ねると横でレジをまとめていた男性が「わたしも入るよ!」と一緒ににっこり笑ってくれました。それが店主のトロンさんで、夫のアレクサンデルさん、そして娘のエメリールイーズさんの家族で経営しているのだそう。店名にある『オンケル・スヴァンヒルド(Onkel Svanhild)』のオンケルとは、ノルウェー語で叔父さんの意味。スヴァンヒルドの名前は、パン作りの名手だったというトロンさんの叔母さんから名づけられたそうです。
ああ、こんなお店がうちの近所にあればいいのにと思いつつ、またトロンハイムに来ることがあったらぜひ訪れようと嬉しい気持ちで、店をあとにしました。遠い国の町に「また行きたいな」って言える店があるのって、いいものです。

