ワイン×芸術。塩田千春さんが描くアートラベル
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ミロ、ピカソ、ダリ…誰もが知る芸術家たちが手がけたワインラベルをご存じですか?毎年変わるアートラベルにファンも多いシャトー・ムートン・ロスチャイルド。2021年のラベルには塩田千春さんの作品が選ばれました。日本人アーティストが採用されたのは1979年の堂本尚郎氏、1991年の節子バルテュス氏に続き30年ぶりです。今回は塩田千春さんにアートラベル制作の裏側について聞きました。
INDEX
シャトー・ムートン・ロスチャイルドとは?
フランス・ボルドーのメドック格付け第一級であるシャトー・ムートン・ロスチャイルド。シャトーを所有するバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社は1853年から「シャトー・ムートン・ロスチャイルド」をはじめ、「クレール・ミロン」「ダルマイヤック」など複数の格付けワイナリーを運営しています。
シャトー・ムートン・ロスチャイルドを語るうえで欠かせないのが、シャトー(ワイン製造者)の経営者であり、数々の改革を行ったフィリップ男爵です。当時ワインは樽に詰められた状態でワイン商へ出荷されていましたが、1924年、彼は品質を保証するためにシャトーでの瓶詰めを決意しました。今では当たり前になっているシャトー元詰めですが、当時は非常に革命的なことでした。瓶詰めには、ボトルやコルク、ラベルの調達や、瓶を保管する広大なスペースの確保など、膨大なお金と時間がかかりますが、その苦労をいとわず、シャトーの責任と権限を拡大したのです。
またフィリップ男爵は、ボルドー最高級シャトーでのワイン造りを世界に広めたことでも知られています。1979年には、カリフォルニア州ナパ・ヴァレーの重鎮であるロバート・モンタヴィ氏とタッグを組み、最高品質赤ワイン「オーパス・ワン」を生み出しました。フランスとカリフォルニア初の合作となるプレミアムワインです。ボルドーのみならず、世界に活躍の場を広げるシャトーとして、その地位を確立してきました。
時代を象徴する芸術家が描くアートラベル
シャトー・ムートン・ロスチャイルドの象徴とも言えるのが毎年変わるアートラベルです。ヴィンテージごとに異なる巨匠たちが造り上げたラベルにはコレクターも多く、世界的に注目されています。初のアートラベルは1924年にポスター作家のジャン・カルリュが描き、「シャトー元詰め第1号」という画期的な出来事を大々的に宣伝するため、豪華なラベルが完成しました。
その後、ミロやピカソ、アンディ・ウォーホル、ゲルハルト・リヒター、デイヴィッド・ホックニーといった著名な芸術家たちがラベルを手がけてきました。歴代のアートラベルは、ワインにまつわる貴重なアートコレクションとともに、シャトー内の展示室に展示されています。その時々の世相が反映されているラベルは、貴重な文化遺産として人々に愛され続けています。
現在アートラベルを担当しているジュリアン・ド・ボーマルシェ・ド・ロスチャイルド氏によると、アーティストを選ぶ基準は「著名であること」そして「ムートン一家がそのアーティストの作品を好きであること」。ヴィンテージによって味わいが変化するムートンのワインと同じように、文化的背景や表現方法において唯一無二の個性を持つアーティストを起用しています。
2021年のラベルに塩田千春さんが選ばれたのは、昔ジュリアン氏の母(フィリピーヌ・ド・ロスチャイルド男爵夫人)がパリの画廊で、塩田さんの作品に魅了されたことがきっかけでした。他のアーティストの作品も展示されていましたが、塩田さんの作品はひときわ際立っていたのです。その後、2019年に森美術館で開催された塩田さんの展覧会のカタログを読みながら、「いつか塩田千春さんにムートンのための作品を作ってもらおう」と思ったそうです。
今回の作品についてジュリアン氏は「塩田千春さんは、力強く、喜びに満ちていて、とても興味深い作品を制作してくれました。華やかで寛大な自然と華奢な人間のシルエットが、四季を表す4本の赤い糸によって結ばれています(これは四季を通して自然と向き合う人の姿です)。ブドウ栽培においては、力強くときに脅威ともなる自然と一年中向き合わなければなりません。この作品は、自然を理解し、寄り添い、受け入れなければならないということを思い出させてくれます」と話しています。
塩田千春さんが語る「Universe of Mouton」誕生秘話
シャトー・ムートン・ロスチャイルド2021年のラベルを手がけた塩田千春さんに、制作の裏側についてお聞きしました。
プロフィール
塩田 千春(しおた ちはる)
1972年大阪生まれ。生と死という人間の根源的な問題に向き合いながら、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、「不在の中の存在」という一貫したテーマのもと大規模なインスタレーションを制作。また、彫刻や絵画、映像を用いた作品も手がける。
2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出される。
横浜トリエンナーレ(2001年)、越後妻有アートトリエンナーレ(2009年)、シドニー・ビエンナーレ(2016年)など国際展にも多数参加。現在はベルリンを拠点に活動。
ラベル制作のお話をいただいた後、まずフランス・ボルドーのワイナリーへ見学に行きました。どのようにワインを造っているかを全て見せてもらったのですが、自然との関わりを大切にしていることがよく分かりました。例えば、雨が少ない年は水を足すのではなく、そのままワインを造る。年によってワインの味わいが全く異なることは新たな発見でした。ヴィンテージワインは時間が経てば経つほどおいしくなることも知りましたね。特に印象的だったのは香り。香りを吸い込むと、ワインの深みや歴史が脳に直接伝わってくる感覚を覚えました。これまで香りを楽しむという観点はなかったので、ワインに対する価値観がガラッと変わりました。
また、ワイナリー併設の展示室では、ピカソ、ダリ、ミロ、シャガールなど、幾多の巨匠たちの作品が並べられていて、その中の一人に選ばれたことをとても光栄に感じました。過去のアーティストがどのようにワイナリーと関わり、どのようなコンセプトで作品を手がけたのか、自分なりに勉強しました。
ワイナリー見学後に何枚か作品を描き、ジュリアン氏と対話を重ねたのですが、彼はアートラベルにとても力を入れているので真剣に向き合おうという熱意が感じられました。私の作品についても細かく勉強してくださっていたので親近感が湧きましたね。何となくワインのラベルはササっと書いて終わりなのかなというイメージでしたが、作品の意味やバックグラウンド、どんな場所で描いているのか?アトリエも見てみたいなど、ジュリアン氏の熱心な姿勢に、美術館のキュレーターと展覧会を作っているような印象を受けました。
半年ぐらいかけて40~50枚ほど描き、ようやく完成したのが「Universe of Mouton(ムートンの宇宙)」です。2021年はコロナ禍真っ只中の年だったので、人間の動きは止まってしまいましたが、自然にとっては良い環境でした。風船のようにも見える赤い球体はブドウの粒で、その周りにワインや宇宙など全てを合わせて表現しました。人間と結ばれている4本の赤い糸は四季をイメージし、人間と自然の均衡を保ち続ける努力を表しています。
今回の制作を通して感じたことは「アートとワインの世界は似ている」ということです。ワインはただ造って終わりではなく、ラベルやヴィンテージといった価値を付加する。アートも紙と絵の具で描いたものにさまざまな価値が付与されていく。例えば、ピカソが戦争について描いたゲルニカは、その時代を生き抜いた作家の作品ということで価値が高まり、何億円もの値段になる。さまざまな人の手によって、多彩な価値がつけられていく世界観がすごく似ていると思います。
ワインは飲むもの、絵は鑑賞するもの、どちらも人間の生活を豊かにするものです。生活必需品ではないですが、心の葛藤や問題がそれらに触れることによって緩和される。ちょっと幸せになれたり、不安な気持ちがなくなったり、いろいろな場面で人間に必要なものだと感じています。
ワインと芸術が紡ぐストーリー、いかがでしたか?日常に彩りを与えてくれるワインやアートを楽しみながら、皆さんの生活が豊かになりますように。