ワインで世界と人をつなぐ。「エノテカ」バイヤーの挑戦
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アサヒグループには、会社の枠を越えて自分の世界を広げながら働く社員がいます。
今回ご紹介するのは、エノテカでワインバイヤーとして活躍する石田敦子。大学時代のイタリア留学をきっかけにワインの世界に魅了され、シャトー・ラトゥールでの経験やボルドー大学(DUAD)での学びを重ねてきました。現在は世界各地の生産者と向き合い、その思いを日本とアジアのエノテカの仲間やその先にいる方へ届けています。出産後もバイヤーとして道を切り開いてきた石田。ワインを通じて人と人をつなぐ仕事の魅力と、その歩みを聞きました
プロフィール
エノテカ 商品部・国際事業部兼務 バイヤー 石田 敦子(いしだ あつこ)
2002年に新卒でエノテカに入社。ワーキングホリデーでフランスへ渡り、シャトー・ラトゥールで勤務。その後、ボルドー大学でワインを学ぶ。2007年にエノテカへ再入社し、現在は商品部・国際事業部のバイヤーとして世界各地の生産者と向き合っている。趣味はもちろんワイン。外食、旅行。二児の母。宝物は家族。
INDEX
ワインに導かれて、本場フランスのボルドーへ
石田とワインとの出会いは、大学時代のイタリア留学でした。当初はアメリカ留学を希望していましたが、競争率が高く断念。その年から新設されたイタリア留学に応募したことが、人生の大きな転機となりました。
留学先で出会ったイタリアの友人たちは、身近に楽しむワインの魅力を教えてくれ、集まる顔ぶれや料理に合わせて心から食卓を楽しんでいました。もともと食べることもお酒を飲むことも大好きだった石田は、その豊かな文化に触れるうちに、自身もワインの世界に魅了されていきました。
帰国後、2002年にエノテカへ入社。そこで石田が触れたのは、単に「おいしいワイン」だけにとどまらない世界でした。産地や畑の違い、造り手の哲学、その年の気候、そして合わせる料理や人との相性、熟成。一本のワインの背景には、想像以上に多くの物語がありました。フランスの生産者が来日した際のアテンド業務に携わるなかで、石田はある強い思いを抱きます。
「最高の生産者たちが目の前にいるのに、自分はその真価を理解しきれていない。もっと本気で学びたい」
その思いは次第に大きくなり、フランスのワーキングホリデービザを取得。入社わずか3年目26歳で退職を決意します。
ちょうどその頃、世界的名門ワイナリー「シャトー・ラトゥール」の社長の来日がありました。当時のエノテカ社長・廣瀬が「彼女は来年からフランスへ渡り、本気でワインを学びたがっているんだ」と触れたところ、「ボルドーに本気で来る気はあるか」という流れになり、その後のやり取りを通して、ラトゥールでの勤務が決定。石田にとっては思いがけない扉が開いた瞬間でした。
地元出身のフランス人スタッフに囲まれながら、世界中からワイン業界のトップたちが訪れる世界最高峰のワイナリーで働く日々。アジア人として初めて採用され、しかも20代の女性だった石田は、「この子は一体何者なんだ?」と厳しい目を向けられることもありました。それでも持ち前の好奇心で、恐れずに輪の中へ飛び込んでいきました。分からないことがあれば聞き、現地の人と積極的に交流し、シャトーの敷地内に住み込みをしながら仕事ができる毎日にワクワクしながら、スタッフの優しさに触れ、ワインの世界にどんどん没頭していきました。
ボルドー大学で知った「科学的アプローチ」と「謙虚さ」
1年弱ラトゥールで働いた経験は、石田にとって大きな財産となりました。しかし同時に、自分の未熟さも痛感したといいます。そこで帰国後、再びフランスへ渡り、ボルドー大学のテイスティングコース(DUAD)に挑戦しました。アジア人の受講生はわずか数人。香りの分子や味覚の仕組みなど、ワインを科学的に体系的に学ぶ日々が始まり、徹底的に五感を鍛えられました。
そんな学びの中で、求めていた自分の物差しのメモリが見えてきた部分はありながらも、石田は意外な気づきを得ます。それは、「自分の限界」でした。
大学公認テイスターという資格ではありますが、合格したからといって、ワインのすべてを理解することはできません。味覚や嗅覚は曖昧で、人によって感じ方も違います。経験値も必要。だからこそ、自分なりの物差しを持ちながらもそれを絶対だと思わず、目の前のワインや生産者に謙虚に向き合うことの大切さを痛感したといいます。
「ワインの世界には『絶対的な正解』や『終わり』がないんです」
そう語る姿は、どこか楽しそうでもあります。そして、その経験が今の仕事観につながっています。良いワインかどうかを評価しつつ、どんな人がどんな思いで造ったのか敬意を持って向き合う。専門性を極めた先にたどり着いたのは、意外にも「謙虚さ」でした。
造り手の思いを、ワインとともに届ける
帰国後の2007年、石田はエノテカに再入社しました。フランスにいる間も、廣瀬のフランス出張時に顔を合わせる機会があり、「いつでも戻って来い」と声をかけられていました。その言葉に背中を押されて石田は再びエノテカへ戻り、ボルドーのバイヤーアシスタントとして歩み始めました。
現在、石田はバイヤーとして世界各地の生産者と向き合っています。その仕事の魅力を尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「ワインの最前線にいることも楽しいですが、何より生産者がふと本音を話してくれる瞬間が好きなんです」
今年の出来はどうだったのか。どんな苦労があったのか。天候や畑の状態に向き合い、自然をリスペクトしながら、一本のワインを造り上げる生産者たち。ふと打ち明けてくれた本音を受け止め、販売スタッフや、その先にいる人たちへ伝え、思いを分かり合えた瞬間にバイヤーとしての幸せを感じるのだといいます。
「あわい」に身を置き、異なるものをつなぐ
石田が39歳の時に父親が突然他界したことは、石田の価値観を静かに変える出来事となりました。それまでは、好奇心のままに駆け足で進んできました。けれど今は、「人との縁や、今ある幸せを大切にしたい」と思うようになったといいます。そんな石田が大切にしている言葉が「あわい」です。
人と人、文化と人、日本とフランス、そして仕事と家庭。何かと何かの間には、はっきりと分けられる境界線ばかりではありません。ゆるやかに混ざり合うグラデーションのような部分があります。石田は、その「あわい」を行き来しながら、人や文化をつないでいく存在でありたいと考えています。
ワインもまた、その「あわい」にあるものです。一本のボトルがあるだけで、造り手の思いや土地の空気が、エノテカの仲間を通じて、その先にいる人へ届いていきます。パスポートがなくても、さまざまな土地や文化を行き来できる。人が集まり、会話が生まれ、その場の空気が少し豊かになる。石田は、ワインには「人と人をつなぎ、人生を豊かにする力」があると信じています。
前例がないからこそ、自分で道をつくる
石田の歩みを振り返ると、そこにはいつも「前例のない挑戦」があります。イタリア留学一期生、一度会社を辞めてフランスへ渡ったこと。ワインの本場で学び直したこと。子育てをしながら働き続けたこと。NHKへの出演など、どれも当時は前例の少ない挑戦でした。
2008年に長男を出産したときも、社内にはまだ育児とキャリアを両立させる制度や前例が十分に整っていませんでした。それでも石田は、「大好きな仕事を続けたい」と会社に相談しました。
その背景には、フランスで出会った働く女性たちの姿がありました。子どもを持ちながら自分らしく働き続けることが自然な環境を見てきたからこそ、石田もその道を諦めたくなかったのです。フランスの仲間たちに背中を押され、産休・育休を経てバイヤー職へ復帰。家族や友人の協力を得ながら続けたその歩みは、後に続く社員の選択肢を広げることにもつながりました。
「前例がないから、正解もない。不安やプレッシャーもありましたが、母としての挑戦も自分で選んだ道でした。壁にぶつかることもありましたが、そのたびに家族やエノテカの仲間に支えてもらいました。大変だった経験も、時間が経つといい思い出として残せる知恵がついてきたのかもしれません」
石田がこれから挑戦したいのは、ワインをもっと身近な存在にしていくこと。
「プライベートでも、友人や親戚と食卓を囲みながらワインを楽しむ時間を大切にしています。特別な日だけではなく、何気ない会話や笑顔が生まれる時間こそが、私にとってのワインの魅力です。ワインは『ハレの日のもの』敷居が高いと思われがちですが、日常の中にある小さなときめきとしてもっと気軽に仲間入りさせていただけたら嬉しいです。お酒を飲む方はもちろん、飲まない方にも、『人が集い、食卓を囲む時間の豊かさ』を感じていただけたら。これからもワインが持つ『人と人をつなぐ力』や『あわい』を、バイヤーという仕事を通じて伝えていきたいです」
text & photo「ハレの日、アサヒ」編集部


取材中、終始明るく話題ごとに表情をくるくると変えながら、最後まで笑顔を絶やさなかった石田。その笑顔には、ワインを通じて出会ってきた人たちへの感謝と、これからも自分らしく道をつないでいこうとする前向きさが満ちていました。