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エノテカ創業者・廣瀬恭久が語る「ワインのチカラ」 Vol.2

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エノテカ創業者・廣瀬恭久が語る「ワインのチカラ」 Vol.2

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ワインは面白い!そう語るのは、独自のビジネスモデルでワイン事業を展開している「エノテカ」の創業者・廣瀬恭久。長年にわたりワインと向き合ってきた廣瀬が語るワインの魅力を全4回にわたりお伝えします。連載2回目は「エノテカ創業物語」です。

プロフィール

廣瀬恭久(ひろせ やすひさ) 

1949年兵庫県生まれ。73年に慶応義塾大学を卒業。鉄鋼系商社を経て、実家の半導体部品メーカーに入社。88年にエノテカを創業。2015年にアサヒグループ入りし、現在はエノテカ顧問。

ワインとは全く畑の違う仕事からスタート

大学卒業後は父親に紹介された鉄鋼系商社に入社しました。将来的に父親が経営する半導体の会社を継ぐための修行という名目で、その会社には約2年間お世話になりました。海外工場への鉄鋼輸出などさまざまな仕事を任せてくれましたが、ここでもワインの魅力に触れる機会に恵まれました。

取引先がアメリカや東南アジアで、出張でサンフランシスコやニューヨークを訪れる機会がよくあったのです。先輩から「出張先では1番良いホテルのバーに行け」と言われて実践。どんな人が訪れているか見ているだけでも街の雰囲気がわかりますし、バーテンダーと親しくなって、流行りのお店などを教えてもらったりもしました。

食べることも大好きだったので、海外出張のたびに出張先でおいしいレストランを探すようにもなりました。アメリカでは食事にワインは欠かせない飲み物として定着していて、食事をさらにおいしくするワインを飲むたびに、自分が喜びを感じる瞬間というのは、やはりおいしいものや、おいしいワインに出会えた時だな、と思うようになりました。この頃から、好みのワインに出会うと銘柄をメモするようになっていました。

1975年に父の経営する会社に入社しました。半導体の部品を製造するメーカーで営業の仕事です。この時25歳。経済が成長している時期だったので、順調な業績で私も世界を股にかけるようなビジネスマンとして日々を過ごしていました。一方で、正直なところ半導体についてはあまり興味を持てず、気持ち的にはこのままで良いのかと自問する毎日でした。

不況になると部品メーカーは買い叩かれるような状況に・・・「最終商品を作って直接消費者に売るビジネスをやろう」と父親に伝えたこともあったほどです。その時の思いもあってエノテカを起業するときには小売りをしようと考えたのだと思います。

父親の会社に勤務していた頃

海外出張の楽しみは、掘り出し物のワインを見つけること?!

そんな気持ちを、助けてくれたのはやはりワインでした。84年頃からアメリカや香港に出張した時にたくさんワインを買ってきて、よく飲み比べをしていました。好きなワインを飲んでいる時間は本当に幸せでしたね。出張の際にワイン?と思われるかもしれないのですが、当時日本では欧州ワインはデパートのギフト売場に少し並んでいるくらいで、しかもとても高かったのです。日本ではまだワインの価値を本当にわかっている人は少ないんだなと感じていました。

海外のワインショップでは掘り出し物をたくさん見つけました。特に香港で買った世界最高峰のフランスのワイナリー「ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」の1978年の12本セットを見つけた時の衝撃は今でも忘れません。当時の価格で25万円でしたが、今なら値段がつけられらないものです。妻と一緒に1年半かけてその12本を飲みました。この時からブルゴーニュワインの素晴らしさに目覚めたと思っています。

当時、ワインを好む人はあまり周りにはいませんでしたし、ワインのうんちくを言うような人はあまり好きではなかったので、自分はとにかくたくさん飲んで「おいしいか、おいしくないか」を自分の舌で覚えていこうと思っていました。

「やはりワインビジネスしかない!」思いが確信に変わった瞬間

1987年にパリにオープンした「レ・カーヴ・ド・タイユヴァン」というワインショップがとても話題になったので、出張の際に訪れました。この時、漠然と持っていた「ワインビジネスをやりたい」という思いが確信に変わった瞬間でした。

飲みごろのワインが手頃な価格で販売されていて、ワインの品質や管理の良さに加えて、おしゃれでセンスのある店のデザインがとても魅力的だったのです。著名人が実際に飲んだワインの空瓶が飾ってあり、ワインが持つ文化やストーリーを感じさせる演出でした。ワインに対する情熱がさらに高まり、当時多角化を考えていた父親に「タイユヴァン」を日本に誘致するという構想を話し、交渉しました。

残念ながら、当時その願いは叶いませんでしたが「タイユヴァン」が無理であれば、自分でワインショップを作ればいいと考えるようになったのです。同じタイミングで、父親の会社を買いたい、という話があったことから、家族で悩んだ末に会社を売却。私はいよいよワイン事業に乗り出すことになりました。ワインと共に人生を再スタート。39歳の時でした。

エノテカ1号店を広尾にオープン

39歳で一念発起。ワインと共に人生を再スタート!

エノテカの1号店は、広尾にオープンしたいと考えていました。大使館が多いことから外国人が多く住み、「ナショナル麻布マーケット」などでワインを買う人がたくさんいて潜在的なニーズがあると考えたからです。広尾にできる新しいビルを確保し順風満帆かと思われた矢先、いくつもの問題が浮上してきました。

一番大変だったのはお酒の販売に関する免許の問題。当時は酒類販売の新規参入が制限されていて、新規に免許を獲得することが難しかったのです。しかし「自分で輸入した酒類を販売するなら免許が下りる」ということを知り、コストや手間、在庫リスクなど不安はありましたが自らワインを輸入する決意をしました。

「タイユヴァン」が私の原点なので、ワインショップはボトルを置いておくだけではダメで、買う買わないは別にして、ワインの雰囲気を楽しんでもらわないといけないと思っていました。ワインショップにいるのではなく、「エノテカにいる」と思ってもらえる店作りをしたかったのです。

最初はオープンの目玉として高級ワインをかなり値引きしていましたので、セール目当てのお客さまが多かったことも事実ですが、幸先のよいスタートをきれました。当初まだワインはメジャーではなかったのですが、やはり日本にもワイン好きな人がいて「エノテカって店はなかなか物もいいし、価格も適正だ」という評判でお客さまが増えていったのです。しばらくすると週末はお客さまでいっぱいになりました。

旧広尾店

現在は、世界中からワインを買い付けてショップで販売しています。国内で63店、香港やシンガポールなど海外で直営26店、コーナー・フランチャイズ11店を展開し、飲食店や百貨店などにワインを販売する卸売業やインターネット通販も手掛けています。このようにワインを輸入し、小売店や卸売業を手掛けるビジネスモデルは現在でもとても珍しく、エノテカならではのオリジナリティーとなっています。

創業した際の苦肉の策が今に生きています。直輸入しなければショップができないということから、自ら欧州に出向いてワイナリーを巡りながらワインの買い付けをしてきました。そのおかげでワイン業界での人脈を広げることができたのです。今でもフランス・ボルドーのシャトーワインやブルゴーニュ、イタリア、チリなどの生産者と交流を深めています。

次回は、世界各地のトップ生産者との交流についてお伝えしたいと思います。

エノテカ創業者・廣瀬恭久が語る「ワインのチカラ」 Vol.2

飲む

エノテカ創業者・廣瀬恭久が語る「ワインのチカラ」 Vol.3

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