shine AS YOU ARE【3】育児とキャリア、両立の壁を乗り越えて
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皆さんはDE&Iという言葉を聞いたことがありますか?この連載では、一人ひとりの輝く個性を歓迎し尊重するという想いを込めたアサヒグループのDE&Iのコアメッセージ「shine AS YOU ARE」をタイトルに、さまざまな取り組みや活動を紹介していきます。
第3回は、男女雇用機会均等法が施行される前年の1985年にアサヒビールに入社した山岸裕美へのインタビューです。社内で初めての産休取得、初の女性研究所所長などを経験し、今は顧問としてグループ全体のDE&Iの推進に携わっています。自らのキャリアとDE&I推進に向ける思いを聞きました。
プロフィール
山岸 裕美
1985年アサヒビール入社、酒類技術研究所にて主にビール酵母を研究。2014年に製品保証センター所長、19年執行役員。22年アサヒグループジャパン執行役員・DE&I室長。24年4月から顧問として国内グループ会社のDE&I推進を行っている。
INDEX
働き続ける女性が周りにいない!粘り強く説得して産休取得第一号に
―社会人になった当時、女性は結婚や妊娠を機に、寿退社が当たり前の時代でした。働き続けることへの壁を感じたことはありますか?
母が働いていた影響で、私もずっと仕事を続けたいと思っていました。理系が好きだったので薬剤師になろうかなと考えて大学は薬学部へ。大学に入ってから研究や実験が面白くなって、アサヒビールに研究職で入社しました。
薬学部は比較的女性の比率が高く、男女差を感じずに教育を受けてきましたが、就職してみてから、「あれ?ちょっと違う」と初めて気づきました。配属された研究所では女性は1割ぐらい。研究に関してはおおむね男女平等だったのですが、働き続けている女性がいなかったのです。当時、労働基準法で産休制度はありましたが実際に取得した人は0で、結婚または出産を機に皆さん退職していました。
入社5年目の1990年に1人目を出産したのですが、このときが最初の壁でした。当時は、育児・介護休業法が成立する前年で、会社にもまだ育休制度がありませんでした。出産後も仕事を続けたいと上司に相談をしましたが、「仕事と子育ての両立は無理だ」と。前例がありませんし、当時の産休は産前6週間・産後8週間の計14週間だけでしたから、私を気遣ってのことです。それでも続けたいと粘り強く何度も話しました。労働組合も応援してくれて、最終的には会社としても「やらせてみよう」と判断してくれて、社内で初の産休取得者になったのです。
直面した現実。年休が残り1日だけのピンチも
―仕事と育児の両立に悩んだり、仕事を辞めたいと思ったりしたことはありませんか?
私は子どもが3人いるのですが、子どもが増えるに従って、子育てはむしろ楽になっていきました。会社の支援制度が充実してきましたし、私自身の母親としての経験値が上がっていったからです。とはいえ、1人目を出産し産休明けの2週間だけは、どうしてこんな思いをしてまで働き続けるのかと思いました。
出産された方はどなたも思われることだと思うのですが、出産と同時に急に自分の時間がなくなってしまうことが想像できていなかったですね。仕事を続けるためにどんな準備が必要かも想像できていませんでした。例えば、本来なら保育園に預ける前に哺乳瓶でミルクを飲む練習をしなければいけなかったのですが思い及ばず。保育園初日は、子どもは全く何も飲まずに1日泣いていたと知り、私も泣きたくなりました。
お手本にする人がいなかったことと、今のように情報がなかったこともあって、私自身の準備が足りなかったと思います。やはり先輩の話を聞いたり、皆さんの経験を参考にできるのは大事なことだなと思いますね。 半休制度や短時間勤務、看護休暇もありませんでしたので、予防接種や急な子どもの病気に休みを使い果たし、年休があと1日しか残ってないという年もありました。
制度を活用して一歩踏み出す役回りを担う
―3人の子育てをする中で、女性の働く環境が大きく変わったと実感したことはありますか?
1人目と2人目は2年しか違わないのですが、育児休業制法ができたことで、育休も取れましたしずっと楽になりました。2000年に3人目が誕生したのは、研究が面白く充実していたときでした。0歳のときに学会発表で海外出張に行くこともできました。
実は、第1子誕生後に、私が担当してきた研究を海外の学会で発表する機会があったのですが、そのときは、子育て中の女性に海外出張は当然無理だろうというアンコンシャスバイアスから、他の方が代役で行ったのです。実際無理だったかもしれませんが、聞いてほしかったなと、残念な思いが大きかった出来事です。それが3人目のときは当然本人が行くものと周囲も思ってくれていました。
働く女性が増え、世の中が変わっていく時期で、法の整備に対し会社も遅れない体制を常に整えてくれていましたし、周囲の意識もどんどん変わっていったと感じます。 かつて産休制度はあっても誰も取る人がいなかったように、法律や社内制度が整っても活用する人がいなければ運用は遅れます。一歩を踏み出す役回りを自分が担うことで、後ろの人に道を作れるのかなという気持ちは持っていました。
「弟の面倒は自分が見るよ」のひと言が管理職への後押しに
―子育てと仕事の両立を、家庭内ではどう分担したのですか?
夫は、家事は私の仕事と考える人ではなくて、家事も育児もやれる方がやろうというスタンスでした。しかし夫が勤務する会社も、当時は女性が働き続けることに理解があるわけではなく、加えて本人の勤務時間が非常に不規則な仕事でしたので、結果的に私が関わる時間が多くなってはいました。私が仕事をすることをフラットに捉えてくれていたので、精神的なつらさはなかったです。
ただ最初の頃は、夫も心のどこかに自分は大黒柱で、自分にとっての仕事と私にとっての仕事は違うと思っていたんじゃないかと思います。それも世の中が変わってくるに従って、夫の考え方も変わってきたと思います。
うれしかったのは、私が管理職試験を受けるか迷っていた時です。管理職になると転勤があるかもしれないので家族会議をしたのです。「もしかしたら転勤をすることがあるかもしれないけれど、どうしたらいいだろう?」と。2番目が高校生で、3番目はまだ小学生だったのですが、高校生の長男が開口一番、「管理職試験を受ければいいよ。これまではお母さんがいっぱい自分たちに時間を使ってくれたけれど、弟の面倒は自分が見るよ」と言ってくれたのです。その言葉に勇気をもらって管理職に挑戦しました。
所長会議で参加している女性は一人だけ。周囲の姿勢に感謝
―仕事の上では、博士号の取得や部長、研究所長へと昇進しています。社内での反応はどうでしたか?
2010年に論文で博士号を取得するまでには数年かかっています。その間に何人も上司が変わっていますが、皆さん応援してくださいました。博士号を取れたのは、テーマに恵まれたことと、それまで転勤がなく長く一つの研究を深めることができたことが大きかったですね。ずっとビール酵母を研究してきて、スーパードライの酵母とは社内で一番長く付き合っていました。
2014年にアサヒビールとして女性初の研究所長になったのですが、戸惑いがあったのは周囲よりも私の方でした。プレーヤーだったときと違って、自分で手を動かせない歯がゆさや戸惑いをとても感じました。自分の今までの経験も持ちながら新しいことが範疇になってくることを、次第に楽しめるようになっていきました。
周囲はむしろオープンでした。例えば研究所長が集まる会議では本当に女性は私一人なので、壁があるのではないかとはじめは緊張したのですが、発言がしにくい、話を聞いてくれないということはなかったですね。むしろよく聞いてくれている感覚がありました。働く環境が良かったのだなと思います。
現場ごとに異なるDE&Iの課題と向き合う
―今は顧問としてDE&I推進に関わっています。DE&Iの難しさや、やりがいはありますか。
人事など制度によるDE&Iとは別に、組織の中で浸透させていくためには自分たちの仕事につなげて考えることが必要なのだと思います。それぞれの部門で課題や現場の人たちが困っていることを考えてDE&Iの実現につなげていこうという取り組みを進めています。
例えばマーケティング部門が向き合う多様性は、スマドリもそうですが、多様なお客さまに向き合うために私たち自身が多様性を実現してくことが課題だと考えます。生産部門は同じ品質のものをきっちり作ること、安全であることが第一です。その場合のDE&Iの課題はどこにあるのだろうと考えました。すると、今までは男性が多い職場だったので、男性目線のマニュアルがあるけれども、女性目線が不足しているのではないかという課題に気づいたのです。DE&Iの視点でどういう設備やマニュアル、仕事の仕方が必要なのかを、現場のメンバーが考えてくれています。
社会のさまざまな立場でDE&Iの推進に取り組んでいる方は皆さん感じられることだと思いますが、組織にDE&Iを浸透させていくことは時間がかかることです。地道に忍耐強く前に進めていきたいと思っています。
人と比べない、ジレンマは原動力になる
―今、キャリアに迷っている女性や子育てを控えた男女にアドバイスをお願いします。
1つは「人と比べない」ことです。私自身、心のどこかで男性と比べたり、専業主婦の方の子育てと比べたりして、同じようには仕事ができないとか、もっと子育てに時間をかけたいのにとか、悩んだ時期が10年ぐらいありました。迷いの時代です。でもそういうことを人と比べてもあまり意味がないなと気づいたのです。途中から人と比べない、自分が何をやりたいかを軸にしようと思ったら、すっきりして、仕事も家庭もうまく回るようになりました。
ですからマネージメントでもメンバーを比べない。メンバーの個性を大事にして輝いてもらおうと思って取り組んできました。いみじくも弊社のDE&Iのメッセージが「shine AS YOU ARE」に決まった時は驚きました。個性を尊重して輝けるようにって、それ、私がやってきたことだわと(笑)。
もう1つは、「できないジレンマはいつか原動力になる」です。子育てには時間を取られますし、もっとやりたいのにできないみたいなジレンマがあると思います。私も第1子のときに、今思えばたった14週間でしたが、休んでいる間に取り残されていくように感じました。
育休を取りたいけれども周りがどう思うか、仕事がどうなるのか、不安や悩みもあると思います。育休を普通に取るようになっている女性以上に、男性は取得が当たり前になるまでの今は過渡期で、いっそうジレンマがあると思います。その思いは大事にして、できるようになったときに発揮すればいい。きっとパフォーマンスの原動力になると思います。 私は、周囲の理解や協力を受けながら仕事も子育てもしてきました。今、顧問という立場になり、会社に対しても周りの人たちに対しても、恩返しというか、恩送りをして、今まで受けたものをまた次に渡していきたいなと思います。
取材・文:中城邦子