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伝統を守り革新を続ける。ニッカウヰスキー余市蒸溜所の職人たち 蒸溜編

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伝統を守り革新を続ける。ニッカウヰスキー余市蒸溜所の職人たち 蒸溜編

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たった1本の万年筆で、2冊のノートに書き記されたスコットランドウイスキー造りの秘密。日本ウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝の熱い想いから、北海道・余市で産声をあげたニッカウヰスキーは今もなおその精神を継いでいます。
1934年に余市で創業してから2024年で90年。これまで主に語られてきたのは竹鶴政孝の功績ですが、この90年間を支えてきたのはニッカウヰスキーを育て続けてきた職人たちです。90年のその先に向かうために、現在の技術と伝統をブレンドさせようとする彼らの声を届けます。

※アサヒグループホールディングスのプレスルーム2022年11月1日の記事を再構成しています。

余市シングルカスク。今では貴重な一品だが、ニッカミュージアムの有料試飲コーナーで試飲することができる

竹鶴政孝が本場スコットランドから持ち帰った製法を今でも忠実に守る余市蒸溜所ですが、スコットランドでは既に失われた製法もあります。その中の一つが、石炭直火蒸溜です。炉の火の様子を見極めながら、職人の手で石炭がくべられる。近代化・効率化とは相反するその手法が、余市のウイスキーの独特な味わいを生み出す種火になっています。
蒸溜を担当する職人たちはいずれも竹鶴政孝と同様の情熱をもっています。その中で加藤貴恵はただ一人の女性職人として働いています。

ニッカウヰスキー 北海道工場 製造部 加藤貴恵

高校卒業後に銀座のバーで働いていた加藤は、一杯のウイスキーに魅せられたことをきっかけに、ウイスキー職人を目指すことになったそうです。岐路となったのは、当時の新橋駅構内に貼られていた1枚のポスター。キャッチコピーは『竹鶴。世界の頂へ』というものでした。

「それを目にした時、この会社なら世界を見られるんだって思ったんです。ニッカに行けば世界が見える。世界一になれるんだなって。それが10年以上前の話です。ただ、その頃は国内の蒸溜所の求人がなかったんです。今でこそ国内で蒸溜所が増えてきてはいますけど、その頃はそもそも蒸溜所の数が少なかった。私が既に大学を卒業していて26歳だったので、そこからお金を貯めて大学に行って専門知識を学んでから国内で求職を行うと遥か長い道のりになる。今から目指すなら、まずは本場で下積みをしよう!そう思って、ワーキングホリデーを利用してスコットランドに渡りました」

ニッカミュージアムに展示される「竹鶴21年ピュアモルト」(現在は終売)。竹鶴は余市・宮城峡などのモルト原酒を掛け合わせて(ヴァッティング)生み出される

「スコットランドについてからは蒸溜所を1軒1軒、履歴書を渡して回りました。でも、私が想像していたようなウイスキー造りの世界は見られなかったんです。というのも、スコットランドでのウイスキー造りは意外にも近代化されていて、「うちは製造している機械を監視する人がメインで、作業員はあまりいらないんだよ」と蒸溜所の方からお話いただいたこともありました。結局、ウイスキーをたくさん置いているバーで働くことになったのですが、そこでの経験が今の私を形作ってくれた。振り返ってみると、そんな風に思います」

加藤が働いたのはウイスキーの聖地の一つである、スペイサイド。スペイサイドで造られているのはウイスキーの中でも、華やかな味わいをもつものだと言われています。その分、蒸溜所ごとの繊細な味の違いが楽しめるそうです。

「ウイスキーの蒸溜所を巡るツアーに参加される方が来るほど、舌の肥えたお客さまが沢山いらっしゃる店でした。ウイスキーにまつわる色々な話を聞かせていただいたのですが、一番印象に残ってるのは「日本のウイスキーが大好きで、その中でも一番は余市なんだ」っていうスペイサイドで生まれ育った同僚の言葉なんです」

蒸溜に使用されるポットスチル。余市のものはストレートヘッド型と呼ばれる形状をしていて、これが余市の重厚なモルト原酒を生み出す一因となっている
炉の扉を開閉するたび、熱気が作業所に満ちる

職人としての経験はできなかったものの、加藤はウイスキーへの情熱を新たに帰国します。しかし、変わらず国内の求人はない状態。そんな時に見つけたのが、ニッカディスティラリーサービスの求人でした。余市蒸溜所見学の見学案内ガイドであり、ウイスキー造りではなかったものの「ニッカウヰスキーに関わりたい」一心で入社。それが加藤の転機になりました。加藤のウイスキーへの情熱は蒸溜所の誰もが認めるもので、やがてニッカウヰスキー北海道工場へと転籍します。それは、ウイスキー職人を志してスコットランドへ渡った時から、6年後のことでした。

「蒸溜の部署に来たのは、転籍から約1年後のことでした。それまでは品質管理と仕込みがメインで、産休も挟みながら4年ほど蒸溜に携わっています。余市は石炭直火蒸溜を行っていて、火を絶やさないように常に作業を続けなければいけません。難しいのが、ただ石炭を入れて火力を高くすればいいわけではない、という点です。空気を入れて、いい塩梅で燃焼させなければいけません。理想的な状態をキープできればいいんですが、それがなかなか難しくて。今は機械でも炉の状態を観測していますが、肉眼で確認する必要もまだあります。炉の扉を開けて火加減を見ることになるわけですが、頻繁にそれを行うと、空気が入りすぎて温度が下がってしまいます」

真剣な眼差しで炉の状態を見極め、石炭をくべる加藤

炉の状態は、扉を開けた時にすぐに判断がつくそうです。悪い時は開けた瞬間から暗く、良い火は炉を開けた時から熱を感じる。視覚と触覚で炉の状態を判断しながら、石炭をくべていく。その力加減や量は一つとして同じではないそうです。さらに気温・湿度によっても状態は変わります。そうして炉との対話を続けることで、余市の香ばしさが漂う原酒が造られていきます。

「私はこの製法を残したい。今の余市の味わいは、今の製法じゃなければ出ない。スペイサイドでも愛された余市の味を守りたいんです」

蒸溜作業はニッカウヰスキー蒸溜所の見学コースとして、一般のお客さまも見ることができます。職人が石炭をくべる様はお客さまにとってウイスキー造りを最も実感できる作業となっています。職人の「伝統を守ろうという意思」を感じられるはずです。

インタビュー中、加藤に代わって作業する小野康弘

「この蒸溜所でウイスキーを造り続けていれば、ボトルが世界にも届きます。そして、余市のウイスキーがスコットランドに置いてあって、現地の人が褒めてくれる。その繋がりを信じているので、毎日一生懸命やるしかないですよね。それに毎日楽しいんです。上司(先輩の職人)は何気なく石炭をくべるんですけど、炉がうまく安定するんです。どのタイミングで入れればいいのか体で覚えているんでしょうね。私はまだそのレベルではないので、とにかく見て覚えるしかない。道半ばですし、ゴールがあるのかも見当がつきません笑。だからこそ、常に成長し続けられるし、飽きないんです」

職人たちの手が、余市の原酒造りを支えている(写真は加藤の手のひら)

本場では失われた、人の手による石炭直火蒸溜。竹鶴政孝が持ち帰ったその技術を、余市は今も絶やさず守り続けています。引き継がれてきたその情熱に魅せられて、加藤のような若い職人たちが余市には集っています。

左から 中里尚之、藤本誠也、小野康弘、加藤貴恵

貯蔵・製樽編でも、「ここでしか聞けない」ウイスキー造りの裏側についてインタビューしていますので、ぜひご覧ください。

伝統を守り革新を続ける。ニッカウヰスキー余市蒸溜所の職人たち 蒸溜編

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伝統を守り革新を続ける。ニッカウヰスキー余市蒸溜所の職人たち 貯蔵・製樽編

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